地方競馬
日本において地方競馬(ちほうけいば)と呼ばれる競馬は2つある。
地方競馬規則(1927年8月27日農林省 農林・内務省 (日本) 内務省令)が制定されたことにより始められた競馬。主催者は畜産組合、畜産組合連合会、または(投票権付入場券を発行しない場合は)馬匹改良を目的とする団体。1939年に軍馬資源保護法が公布されたことにより「軍用保護馬鍛錬競走」へと移行した。
現行の競馬法に基づき都道府県・競馬場が所在する市町村あるいは左記の地方公共団体で構成される一部事務組合が施行する競馬である。地方公共団体等が施行することから、「公営競馬」(こうえいけいば)という俗称で呼ばれることもあるが、正式な呼称は「地方競馬」であり、日本中央競馬会(JRA)の施行する「中央競馬」と対をなす法令用語となっている(競馬法第1条第5項)。以下に詳述。
地方競馬招待競走
地方競馬招待競走(ちほうけいばしょうたいきょうそう)および中央競馬招待競走(ちゅうおうけいばしょうたいきょうそう)は、中央競馬と地方競馬で毎年交互に行っていた競馬の競馬の競走 競走(平地競走)である。
日本の競馬#中央競馬と地方競馬の交流 中央競馬と地方競馬の交流の項目も参照。
1972年以前は中央競馬と地方競馬間の交流は一切無かったが例外としては、川崎競馬場で行われた第1回全日本2歳優駿 全日本3歳優駿において中央競馬の競走馬を招待して行われたが、1回限りだった。(騎手交流競走すら無かった)、1973年、中央競馬が地方競馬招待競走(サラブレッド系・オープン特別)を創設、この競馬の競走 競走には全国の地方競馬から招待を受けた馬が出走した。
地方競馬教養センター
地方競馬教養センター(ちほうけいばきょうようせんたー)は、栃木県那須塩原市にある地方競馬の騎手・厩務員を養成する機関である。1954年11月1日に関東地方競馬組合が組合所有の八王子牧場跡に騎手教養所を開設したのが始まり。1962年9月に騎手養成課程が地方競馬全国協会(NAR)の管轄になった(全国の地方競馬の騎手の育成を開始)。1964年11月6日に騎手教養所を栃木県塩谷郡塩原町(後に那須郡に転属。現在の那須塩原市)に移転、1982年6月1日に「地方競馬教養センター」に改称した。
騎手過程は2年間、厩務員(調教師)課程は1ヶ月間に渡って全寮制(合宿)による集団生活をこなし、騎手過程参加者は騎手としての基礎体力作りから調教技術の向上、厩舎作業の体験、競馬場やトレーニングセンターの見学研修など。厩務員課程は騎乗技術はもちろん、競走馬や厩舎の管理などを研修する。なお、海外の騎手免許取得者や競馬場での厩務員や調教助手などの経験者は騎手過程の短期コース(半年間)を受講することも可能。
地方競馬全国協会
地方競馬全国協会(ちほうけいばぜんこくきょうかい、略称:NAR(the National Association of Racing)、地全協)は、競馬法に基づく特殊法人である。
1962年8月1日に設立。
馬主・競走馬の登録や、調教師・騎手等の養成や免許の授与といった、地方競馬全体を管理・統括する業務を中心に行っている。またNARグランプリを制定している。
2005年11月25日に特殊法人等改革推進本部参与会議は地方競馬全国協会を解体し、各地方競馬が出資する共同法人組織として運営を一元化する改革案を示した。これにより、地方競馬の改革が加速する可能性もある。
地方競馬
中央競馬
日本中央競馬会
地方競馬 ちほうけいはせんこくきようかい
地方競馬規則
地方競馬規則(ちほうけいばきそく、1927年8月27日農林省 農林・内務省 内務省令)は、戦前の日本における地方競馬に関する法令である。1939年に軍馬資源保護法が公布されたことにより効力を失い、地方競馬は「軍用保護馬鍛錬競走」へと移行した。
競馬法#旧競馬法 旧競馬法に基づく公認競馬を除き、競馬を開催するには地方長官の許可が必要(それまでは祭典競馬については除外されていた)。
競馬の主催者は、畜産組合、畜産組合連合会、または馬匹改良を目的とする団体。
畜産組合、畜産組合連合会が主催者である場合には、投票権付入場券の発売が許可される。
都道府県ごとに競馬場の数、1競馬場ごとの1年間の開催日数、競馬場の規模など、競馬施行の要件に着ついてさまざまな規定がおかれた。